[ITFC]「あおいちゃん大事典」制作楽屋裏

 1996年8月4日

 コミケ当日。5時半起床。全然寝た気がしない。当たり前だ。それに、昨晩の酒のせいで、心なしか頭が痛い(苦笑)。6時に重の車で新井宅を出る。メンバーは前田、重、それにぼくの3人。近所のコンビニ類で昼食を調達。車内で、おむすびの朝食をとる。前の晩に美恵さんが用意してくれたものである。

 会場の有明ビッグサイトに到着。さっそくサークル入場し、自スペース内の準備を開始する。一段落した頃、重がコミケットカタログを買いに行くが、とっくに売り切れ。今回だけの出来事であればまだ許容できるが、これは何度目だろう。現場で忙しく動いているスタッフの方々の努力には頭が下がるばかりであるが、上部は何をしているのであろう。あまりの無計画さにあきれる。普通のイベントなら絶対に責任問題になっている。

 開場である。場内一斉の拍手。おなじみの光景である。同時に、自分のサークルスペースを出て、お目当てのサークルに向かって走り出す人の姿もチラホラ。これもおなじみの光景。入場待ちの行列に並ばずに早く会場に入れるというのでサークル参加するという人も依然として多いのだ。その一方で、自分の作品をより多くの人に見てもらいたい人が抽選洩れしてサークル参加できずにいる。

 コミケは、いろいろな人に会えるのが醍醐味である。メールで知って始めて会う人、毎回きてくださる常連さん。通りすがりの綺麗なお姉さん(^^;)。今回は新刊があるので、大にぎわいである。

 11時過ぎ、鈴木が一般入場でサークルスペースに顔を出す。それから少しして文絵さんも現れた。

 14時過ぎ、人の流れが一段落したので、毎回お邪魔しているサークルスペースに顔を出した。前田は、昼過ぎに「買いに行く」と言って出ていったきり、帰ってこない。何年振りのことだろう。彼は最近「エヴァンゲリオン」にハマっている。

 16時。閉場アナウンスが流れ、再び拍手が起きる。スペースの撤収作業を始める。数をチェックしながら、残った本を包む。確認新刊は200部以上売れた。ひとつの本が200部を越えるのは、ITFC始まって以来のことである。めでたい。総販売数をカウントしてみると、約1分に1冊の割合で売れていったことになる。忙しかったわけだ。そうこうするうちに前田がやっと帰ってくる。荷物を取りまとめ、重の車で会場を後にした。


 1996年8月3日

 コミケ前日作業である。春日部市の新井夫妻宅集合。当初は15時集合の予定。ぼくが遅れて15時半ごろに八木崎の駅に到着。新井宅に電話を入れ、重に車で迎えにきてもらう。前田からは「遅れる」との電話あり。重の家は奥さんの美恵さんがしっかりしているので、これ以上はないくらいにとても綺麗に片付いている。

 明日コミケに持ち込む在庫を取りに、重と二人で重の実家に行く。蔵に在庫を置かせてもらっているのである。数をチェックし、車に積み込む。帰りがけにドイト等に寄って、会場で本を机に並べるための台や、在庫を置くためのベンチ等を調達。

 19時。前田がまだ来ないので、夕食を始める。焼き肉だー。重とオーディオの話や、PCの話で盛り上がる。ビールを結構飲んだ。

 21時近くなって前田が着いた。いろいろと話をする。12時を過ぎたので、シャワーを浴びさせてもらい床に就く。

 しかし、そのままおとなしく寝るはずもなかった。同じ部屋の前田とさらにいろいろと話をする。実際に寝たのは3時近かったに違いない。前田の話によれば、寝たかったのに、ぼくが話を続けてたから起きていたのだが、ぼくがもう寝るかと言った次の瞬間、いびきをかき始めたので、あきれたとのこと。スマン。


 1996年7月21日

 入稿記念打ち上げだ。最近は我が家で開くのが慣例になっている。参加したのは、前田夫妻、新井夫妻、鈴木、冨永、ぼくとカミさんのさおりの合計8名である。しかし、自宅で総勢8名の宴会を開くとは言っても決して広い家ではない。2DKの社宅である。当然、6畳間の和室にぎゅう詰めとなる。

 買い出しから参加したのは前田夫妻とぼくの3名。ぼくのカミさんは家で留守番だ。立川駅に1時に集まって、ルミネ地下の食品売り場をぐるぐると回って思い思いのものを買い集めた。人出があるので、けっこう疲れる。

 現地集合は新井夫妻と鈴木。彼らが集まったのは15時ごろ(だったかな?)。それから少し遅れて冨永の登場。

 その日に集まった酒は、次の通り。
 えたいの知れない輸入ビールが6本。これは重の事前購入分。重には申しわけないが、高い割に既に中身が殆ど酢と化しており、不評。日本の喉越しさっぱりビールが大好きな人が馴れないことをするものではないという教訓となった。
 前田がジンジャービールを5本(1本330ml)。これは、つい最近輸入され始めたばかりの品で、元祖ジンジャーエールである。「今、よみがえる1500年前の究極の味」だそうだが、実際ウマイ。ビールをあまり飲まない人も結構飲んでいた。ぼくがたまたま近所の酒屋で見かけて飲んだのだが、それ以来見つからず、周辺に捜索願いを出していたものだ。前田、偉い。
 ぼくが事前購入していたのが、一升瓶が1本、ワインが赤白各1本。一升瓶は、ぼくがカミさんと一緒に「シアターエクスプレス96」で花巻へ行ったときのみやげである。限定古古酒・菊の司大吟醸。ワインは内緒。日本酒は好評。ワインは自宅での保存状態があまり良くなく、味が落ちてしまっていた。残念無念。
 あとは、白ワイン1本、日本のビール各種。といったところ。ここらへんはどうでもいい。

 食事は買ってきた握り寿司からスタート。その後、重が持ってきた牛タンとか、青山家のいただきもののオードブルセット(調理の主任は女性ではなく冨永。単にITFCの幽霊編集長であるだけでなく、宴会での料理長もこなす。ぼくの酒の支障もとい、師匠でもある)。

 日も暮れたので、花火をしに多摩川まで出る。多摩川は家の窓からすぐそばに見え、歩いて3分で河原に出られる。花火もITFCでの祝いごとの定番となっている。とはいっても、普通の花火ではなく、結構大きめの打ち上げ式の花火を上げる。降ってくるものを避けるため、結構走り回る。

 再び家に戻って宴会の続き。既に料理は山を越し、チーズやら、玄米パンやらに移っている。少しして横になったのは覚えているが、そこから後が記憶にない。^^; 気がついたのが、25時ごろだったか。聞いた話だと、前田もつぶれ、終電で帰ったとのこと。まあ、無理もない。仕事で頑張って、その上で毎週末集まってきつい編集作業をしていたのだから。とはいえ、途中で寝てしまったのは皆に申しわけないし、残念に思っている。うーむ。もの足りない。


 1996年7月12日

 有給休暇を取得して作業を進めた。先週、風邪をひいてしまったことで生じた遅れを取り戻すためである。この日は台割の作成と目次の版下の作成に明け暮れてしまった。(重)も奥さんを伴って夕方から作業に加わってくれた。泊まり込みである。主にカットの版下への貼り込みをやってくれた。(たつ)も夜8時過ぎに到着。彼は「スタッフルームから」の自分の原稿のフォントとして、あくまでも平成明朝体W9を使うことにこだわる。この日の作業は3時過ぎまで続いた。

 1996年7月13日

 これからが正念場。残っている作業は、エピソード扉の版下作成。藤原律さんのイラストへのホワイトがけ・トーン貼り・ベタ塗り。カットの版下への貼り込み。目次の版下作成。次号予告。「スタッフルームから」などなど。

 16時ごろ、進行状況から本日中の入稿は不可能と判断する。印刷屋に電話を入れ、入稿を1日遅らせてもらう。

 みんな黙々と作業を続けている。しかし何かが足りない気がする。

 夜半、片山文絵さんが、頼んでいたカット20点と次号予告用イラストとともに現れる。一安心である。昨晩は泊まり込んだ重と奥さんだが、この日は帰宅した。

 作業継続。エピソード扉のデザインにてこずり、なんとかOKが出せるレベルのものが出来るまで、その日は明け方の4時過ぎまで作業が続いた。ドーナツを缶ビールで流し込んでから床に就く。

 1996年7月14日

 10時過ぎに起床。暑い。昨晩の続きを黙々と進める。いや、黙々としているのは人間だけで、MIDI機器やらCDラジカセは限られた曲を延々と何度も何度も繰り返し歌い続けている。入稿直前のおなじみの光景である。ぼくの机ではMIDIがMICHIメドレーやファンタシースター(千年紀)を繰り返し、(たつ)が作業をしている近辺ではCDラジカセがFly me to the moon という具合である。(普段なら、(たつ)の周辺でチューメーとかキクシュンとかがパワー炸裂しているのですが、今回はちょっと様子が違います。)

 瞬く間に時間が過ぎる。印刷屋の営業終了時間には間に合いそうにないので、遅れる旨の電話を入れる。快諾を得られたのが、ちょっと不気味。

 すべての版下が完成した! 最終的なチェックを行った後、印刷屋へと出かける。ほとんどの打ち合わせは表紙の入稿時に済ませてあるので、あっけないほど簡単に終わる。しかし、何ごとにも完璧はなく、案の定帰りの電車の中で確認事項が二点ほど残っていたことを思い出す。自宅に帰ってから電話とFAXでフォローする。

 やあ、これでぼくらの制作作業は終わった。これで、長年引きずっていたあおいちゃん大事典が、ぼくら制作の手から離れることとなる。みんなよく頑張った。あとは印刷屋にすべてを託すのみである。受け取りは30日の予定。(重)が行くので、ぼくが完成品を目にするのはコミケの前日か当日ということになろう。

 遅い夕食はカミさんと久しぶりにモスバーガーへ。またその日は約1カ月振りに、シャワーではなく、ゆったりと湯につかった。モスバーガーのついでに仕入れたジンジャービール(ジンジャーエール)とギネスの味は格別だった。(Tsu)


 1996年7月8日

 雨の降るなか、原稿(イラストトーク3点)を届けに、宮本夏海さんが我が家を訪れる。多摩インターネットのホームページのアートデザインなどを手がけた人である。

 まだ手を入れるところが残っているとのことなので、作業スペースとしてぼくの机を提供する。そうこうしているうちに食事の用意ができたので、夕食をともにし、ビールを勧める。

 ホームページのことや、同人誌のことなどでひとしきり盛り上がる(と思っていたのはぼくだけで、宮本さんは緊張していたかもしれない)。ITFCのホームページも、謎の小部屋はおろか、その先の謎の奥座敷まで既にチェックされたとのこと。さすが鋭い。

 気がつくと、時計は既に23時をまわっている。宮本さんが見えたのが、21時20分ごろだったから、あっと言う間に2時間近くが経過したことになる。

 場所を机のある部屋に戻し、話をしながら原稿の仕上げを続けてもらう。しきりに、恥ずかしいから目の前で見ないでほしい旨おっしゃる。

 原稿の完成。これで本全体のページ組みができ、既にできている版下にノンブルが打てる。

 宮本さんは、終電の一本前で帰っていった。ご苦労様です。これに懲りずにまたよろしくね。 (Tsu)


 1996年7月6日

 昨日(MO)から受け取ったイラストを使って、表紙の版下を作成した。入稿は、表紙の用紙・刷り色を決める際に意見を聞くために会計の(達)を引っ張って行った。

 利用可能な色の関係から、イメージしていたものとはちょっと異なり、用紙は濃いピンク(テンカラーエンボス 濃桃)、インクは紫がかった青(パントンカラー ファーストブルーレーキ)となった。ちょっと冒険をしたつもりの選択である。

 戻ってからディスプレイ上でシミュレートした結果は……であった。はたしてどんな仕上がりになるか、とても楽しみである。^^;


 1996年7月5日

 22時半ごろ、表紙イラスト担当の(MO)が、表紙と裏表紙の原稿を届けに来た。なかなか渋い表紙である。彼には、表紙に薄いピンクの用紙を用いて、濃いピンク系の赤のインクで刷るつもりであることを伝えてあったのだが、あまりにも絵柄と合わないので、考えた末、ピンク系の用紙に青系のインクを取り合わせるという私案に達した。


 1996年7月2日

 風邪ひいたー。重もだ。

 制作状況を勘案して、(WA)に再度、印刷屋と入稿日の交渉をしてもらった。その結果、表紙の入稿は7月6日、本文の入稿は7月13日ということになった。


右は、カットのひとつです。
(画:青山さおり)


 1996年6月29日

 作業を進めていく過程で、レイアウトの大幅な変更要求が発生した。

 事典本は右綴じで、内容はエピソード毎に分割してそれぞれに扉をつけるという当初からの計画であった。そしてエピソード扉を右ページにして本文は左ページから始まるという前提で本文はレイアウトしてある。しかし、エピソード扉のラフが出来てくると、やはりエピソード扉は左ページにして、本文は右ページからにした方が良いという結論に達した。
 既にカットが仕上がりつつあるので、そのサイズは変更せず、左ページ始まりのエピソード毎の本文を右ページ始まりにレイアウトし直さなければならない。(Tsu)


 1996年6月22日

 スタッフの(WA)が印刷屋さんと連絡を取った結果、入稿日は、7月7日と決まった。しかし表紙イラストの制作状況を確認しようとしても、担当の(MO)と連絡が取れない! 緊迫した雰囲気が漂う。そう言えば、原稿の依頼をしたとき、そのころは仕事が忙しくなる予定だと言っていた。すわ、原稿落ちの危機か!? 今週中に連絡が取れなければ表紙描きのピンチヒッターを立てねばならない。
 だが勤務先に電話を入れることで、ようやく彼と話が出来た。最初、原稿は未着手だし仕事は忙しいと言っていた。そこでピンチヒッターの話をしたが、それは杞憂だった。やる気満々で、是非描きたいという力強い返事が得られた。
 こうして入稿日も決定し、あとはひたすら作業するだけ。いやおうにも、ムードは盛り上がってきている。(Tsu)


左は上のカットの下描きです。クリックすると、何かが起きる!?


 1996年6月20日

 Bamboo Book Specialの正式タイトルが、ようやく決まりました。

 既にこのページタイトル等でおわかりのように、「あおいちゃん大事典」です。正確には「Bamboo Book 特別号 あおいちゃん大事典」です。

 その心は、「あおいちゃん大事典(BBSP)」+「パニック!のまき(BB3)」=「あおいちゃんパニック!」(<達)です。

 完成をお楽しみに。(Tsu)


 1996年6月17日

 ども。ITFC会長の青山です。

 さて事典本ですが、単に「あおいちゃんパニック!」の内容を50音順にずらっと並べても芸がないので、ITFC独自の観点からコミックス全3巻の内容を10パートに分割し、パート毎に構成することにしました。現在、各パートの項目の原稿とレイアウトが完了した段階です。ちなみに、項目の部分だけでカットの総数は90を越えています。

 今は数名の描き手がそれらのカットを分担して描いている最中です。みなさん気になると思いますが、藤原律さんには、カットを30点依頼しました。会社勤め+一児の母ですので、事態が急変して最終的には30カットを描き上げることができなくなる可能性もありますが。

 カット描きの作業と並行して、パート毎の扉ページの作成も進んでいます。扉に関しては、ちょっとおもしろい企画をしているのですが、これは今のところ、ナイショにしておきます。でき上がってのお楽しみということで。

 スケジュール的には、夏のコミケットまでには間に合うよう、なんとか印刷屋に入稿できそうです。

 ではでは。(Tsu)


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Last update August 25, 1996 by J.Aoyama
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